ひつじにっき

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名前もしらない 「おじいちゃん」

お女中の出産を許した"旦那さま"であったが、
どの程度扶養の責を負っていたかは
私は知らない。

ただ、お手つきの子を産んだお女中が
粗末ながらも 住むところを与えられたのは
" 旦那さま" の温情の賜物だと思う。
そしてあてがわれたのが、私の母が「父と呼ぶ対象になった」人であり
私の「祖父」である。


「祖父」であったそのひとに会ったのはせいぜい数回である。
名前も知らぬ。
私が初めて「おじいちゃん」を見たとき既に彼は、
言葉も体の動きも うしなっていた。





「おじいちゃん」という人は 喋らないし、
両膝も 両腕も曲がっていて、
あぐらをかいたままひざを使って、
かろうじてこちらに進んでくる人であった。
骸骨みたいで恐い・・・
としか思えなかった。





ある時、掘りごたつの中で
「おじいちゃん」と、私の足が軽くぶつかった。

私は反射的に「あっ 恐い、睨まれる」
と身を固くしたのだが
目が合った「おじいちゃん」は、


「うほ」

と明るい声を出した。

それは 喉の奥から 湯気のように上がって、
あっという間に消えた 霧のような声だった。





私は「『おじいちゃん』も声を出すんだ」ということに驚きつつ、

「えへっ」と笑わなければいけないような気がして、そうした。




そうしたら「おじいちゃん」は、なんと意思表示をしたのである

「うほ、ほ」

と 目も口も、頬もゆるんで
私の目を見て 微笑んでいた。

私は嬉しくなり調子に乗り、
掘りごたつの中の自分の足を再び 「おじいちゃん」に向けた。
足と足が、ふれた。


「おじいちゃん」は その度に、

「うほ、ほ」と、確かに 笑った。





喜んでもらえて うれしい。


それが唯一の

血のつながらない 祖父との、思い出であり

「おじいちゃん」のカギカッコがとれて

おじいちゃん になった日でもあった。




その後 いつの間にか 祖父はホームに入り、

いつの間にか静かにその人生を終えた。

葬式の記憶もない。





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